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『替天行道・北方水滸伝読本』(北方謙三:編著) 集英社:2005年10月30日第1刷発行 北方謙三の19巻にも亘る大長編『水滸伝』を、この一冊を読んで、私は全て読んだ気になりました。だけど、『水滸伝』を読んだことのない人が、これを読んでも理解できないだろうし、面白さもわからないでしょうね。 『水滸伝』を読んだ人は、既存の『水滸伝』との明確な違いと、著者自らが纏めた“人物事典”を読むだけで、壮大なストーリーが把握できます。大長編を読む根気がなくなった私にとっては、情報だけでいいのだァ。 |
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『サルに教える映画の話』(井筒和幸:著) バジリコ:2005年10月29日初版発行 製作現場を知る監督ならではの映画の話が聞けて楽しめます。作品評価については異論がありますが、そんなものは人それぞれですからね。サム・ペキンパーがスローを使うのは、ペキンパー自身の激情が走った時に使うという監督の解釈は当たっているかもしれませんね。ペキンパーのスローにはわからないところがありますからねェ。 それと、女優は最初に脱いで、それから演技派を目指せというのも納得感があります。売れなくなって脱いでも、ババアの裸なんか観たくな〜い。 |
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『大江戸ひっくり返史』(阿井渉介:著) 河出書房新社:2007年3月30日初版発行 副題に“露八史観”とあるように、松廼家露八の視点による歴史講釈になっています。松廼家露八というのは、幕末から明治への変動期に幕臣から幇間になり、権力に対して皮肉いっぱいに生きた人物。著者独自の歴史観でなく、既存の解釈を露八に語らせています。ただ、表現方法において著者の視点が所々に出てくるのが気になりましたね。 |
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『日本プロレス帝国崩壊』(タダシ☆タナカ:著) 講談社:2004年9月17日第1刷発行 プロレスをショービジネスの観点から論じています。アメリカのプロレスがエンタテイメント(ショー)に進んで成功し、日本のプロレスが真剣勝負に進んで失敗したというのが著者の考え方ですね。 だけど、WWFだけがプロレスを独占して利益をあげているだけで、全盛期と比べるとレスラー数はかなり減っており、プロレスそのものは衰退していると私は思っています。そして、日本のプロレスが駄目になったのは、1980年代のアメリカプロレスの衰退に原因があると考えています。 プロレスの魅力は見世物的いかがわしさにあると思うんですよ。いかがわしい外人レスラーが日本にやってきて日本人レスラーと対決する図式が、プロレスの面白さだったと思うんですな。アメリカプロレスの衰退によって外人レスラーの数が減って、いかがわしくて実力ある外人レスラーとのカードが組めなくなり、日本人対決に進まざるを得なくなった。 日本人対決では、プロレスの凄さをアピールしづらいんですよね。それで真剣勝負路線ということになりますが、K−1などの格闘技と違ってルールの曖昧なプロレスでは毎回真剣勝負なんてできませんよ。結局、ファイトのマンネリ化がプロレスの崩壊につながったと思います。 CATVでアメリカのプロレスを2〜3回見たのですが、完全にショー化しており、私の好みじゃなかったで〜す。 |
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『いちばん強いのは誰だ』(山本小鉄:著) 講談社:1997年12月6日第4刷発行 新日本プロレスの現場で数多くのレスラーを見てきた小鉄さんらしい内容の本です。カール・ゴッチのようなストロング・スタイルのレスラーを理想とする小鉄さんにとって、アメリカプロレスの格闘演劇は気に入らないでしょうね。異種格闘技戦でレスラーが負けるのも忸怩たる思いがあるでしょう。最強格闘技としてのプロレス復活のための強い思いが文章から伝わってきます。 アメリカにNWA、AWA、WWWF、WWAという4つの団体があり、力道山が世界の強豪を迎え討っていた頃は、プロレスは最強格闘技だった思いますね。レスラー数だけでなく、ボクシング・アマレス・相撲・柔道・アメフトといった異種格闘の世界からやってきたレスラーがわんさといて、強さを競っていましたからね。プロレスの最強者が、格闘技の最強者だったと思いますよ。レスラーがバラエティに富んでいて、プロレス中継が待ち遠しかったですねェ。 |
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『よみがえる昭和こども新聞』(昭和こども新聞編集委員会:編著) 日本文芸社:2007年7月5日発行 終戦の年から昭和37年までを新聞形式で懐古するMOOK本です。当時の子供の気持ちになって記事作成していますが、執筆者がその時代より後の世代なので、おかしな箇所が多々見受けられます。昭和29年以降は、記憶が結構はっきりしているものでね。 例えば、“笛吹童子”の記事に、「毎週見に行く映画代を捻出するのに苦労した子どもも多かったと聞く」とありますが、当時の大半の子供は父兄同伴で映画を観に行ったものです。親にねだるのに苦労したんですよ。“笛吹童子”は2本立ての添物SPとして作られており、メインの作品に親が興味を持たないと連れて行ってもらえないものでね。“第1部どくろの旗”は、片岡千恵蔵の
“金田一耕介シリーズ”(『悪魔が来りて笛を吹く』)との併映じゃなかったかなァ。親父はこの手の映画が好きだったもので観ることができたのですが、とにかく怖かったという記憶が残っています。でもって、第2部と第3部は続けて観ておらず、夏に総集編として再公開されたときに第1部と合わせて観ました。親父はチャンバラ好きだったので、喜んで見ていましたねェ。 他にも脱脂粉乳の記載がなかったり、記述にも誤りがあったりしますが、全体的には満足できま〜す。 |
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『丹下左膳』(手塚治虫:著) 講談社(手塚治虫漫画全集):1995年6月5日第6刷発行 1954年の作品で、画一的なコマ割りは時代を感じさせますが、手塚治虫のマンガらしく“サラリと軽快でしゃれた喜劇”になっています。 あとがきによると、刀傷の片目をバッテンにしたのはピエロのイメージとのこと。蒲生泰軒の顔が手塚風でないと思ったら、当時、締め切りに追われて、永島慎二が手伝っていたんですね。納得、納得。 |
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『拳銃王子』(南波健二:絵、真樹日佐夫:作) マンガショップ:2007年5月2日初版発行 1972年に「少年チャンピオン」の19号〜35号に連載されたものを単行本化したものです。1972年といえば「少年ジャンプ」で『荒野の少年イサム』が人気をはくしており、西部劇マンガを受け入れる環境があったんですね。 内容は、名保安官だった父親が何者かに殺され、息子が東部から帰ってきて父の後を継いで保安官となり、町を支配しようとする悪い牧場主と戦うという、オーソドックスな西部劇です。西部劇映画によくあるパターンをマンガにしただけで、驚きはありませ〜ん。 |
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『黒い野牛』(堀江卓:著) マンガショップ:2007年2月2日初版発行 1961年に「少年マガジン」の35号〜52号に連載されたものを単行本化したものです。1961年といえば、西部劇ブームの頃で、西部劇マンガも色々ありました。だけどこれは、ブッ飛んでいますよ。 最後の一人となった甲賀忍者が父親を捜しにアメリカ西部に行くのですが、父親がインディアンの酋長になっていることを主人公に知らせにきたインディアンはどうやって日本に来たんだ? 次のページでは二人ともアメリカ西部にいて、理屈なんてないんですね。アメリカには、主人公より一足早く宿敵である伊賀忍者も来ていて、悪いインディアンに忍法を教えているんですな。その悪いインディアンが忍法を使って騎兵隊の砦を襲うのですが、それを主人公が援けるわけです。西部を舞台に忍者の戦いが行なわれるんです。 ガントリックガン(ガトリングガンではなくジャンゴ機関銃みたいなもの)のお婆とか、脱走した死刑囚を引き連れた囚人幌馬車隊とか、悪党も魅力があります。 黒い野牛というのはインディアンが主人公につけた名前で、彼の得意技はライフルをつかった必殺!真空射ち。マカロニウエスタンよりも荒唐無稽な物語が展開していき、満足、満足です。 |
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『MOVIE NO.2』 共同通信社:2007年9月1日発行 ジョン・ウェイン特集とあってか、発売されて半月も経たないのに残り1冊だけでした。今年はジョン・ウェインの生誕100年にあたり、特集を組むのにはベストタイミングといえるでしょうね。内容的には研究書ではないので、私にとっては周知のことばかり(記載に間違いもあったよ)でした。 それでも、大林監督のウェインに対する思い入れ(特に『怒涛の果て』に対するこだわり)はファン気質そのもので嬉しくなったし、ジョー・マッキナニーのインタビューへのジョン・ウェインの応対はウェインの生の声が聞けた感じで楽しめました。それと使われている写真に初出のものが多かったのも良かったで〜す。 |